西南戦争動画(第7弾・大口の戦いから日向への敗走まで)の紹介
先週にアップした西南戦争動画第7弾(大口の戦いから日向への敗走まで)について紹介します。
西南戦争(07・大口の戦いから日向への敗走まで) / Satsuma Rebellion
人吉攻防戦に決着がつき、村田新八率いる薩軍は人吉(熊本県)から南下して加久藤越(現宮崎県えびの市)方面に撤退します。
一方で、人吉より南西方面に位置する大口(現鹿児島県伊佐市)では、辺見十郎太率いる雷撃隊が官軍3旅団(第2旅団・別働第2・3旅団)と激戦を繰り広げています。
当初、大口での戦いは雷撃隊vs川路利良率いる別働第3旅団で兵数も同等であったため、戦闘指揮に特段優れている辺見側が優勢でしたが、増援された第2・3旅団により、劣勢に変わります(※動画第6弾参照)。
そして人吉陥落後、別働第2旅団も加わり、雷撃隊だけでなく熊本隊も奮戦しますが、遂には大口の撤退を余儀なくされます。
このとき辺見は、田原坂・吉次峠の戦いで散っていった多くの私学校徒(兵児)がいれば・・・と陥落した高熊山を仰ぎながら嘆き、老松の傍らで泣いたと云われています。その老松は「十郎太の涙松」と呼ばれ、明治42~3年頃の落雷で枯死し、現在はないそうです。
人吉・大口が陥落し、村田は次の手として都城を基点に各隊を配置し、官軍を迎え撃つ作戦を立てました。都城は動画にもあるように、霧島山地や鰐塚山地に囲まれ、大淀川の侵食によって形成された広大な都城盆地にあります。
背後の宮崎には西郷隆盛・桐野利秋率いる薩軍本営が設置されており、官軍の進軍を阻止する最期の砦といえ、地形的にも守備に適した場所です。
↓はげみになりますので、是非ポチッと押していただけますと幸いです。