戊辰戦争動画(第6弾・宇都宮城攻城戦)の紹介
前回の動画*1では、旧幕歩兵奉行・大鳥圭介率いる伝習隊の活躍で、旧幕軍側は連戦連勝を重ねました。
そして遂に、大鳥圭介、会津藩士・江上太郎*2、新選組・土方歳三、桑名藩士・立見尚文*3達が率いる旧幕軍が宇都宮城を占領します(第一次宇都宮城攻城戦)。
結果、宇都宮藩兵の戦死者は10名に上り、そのうちの1名は山本松三郎という15歳の藩兵で、この方は山本有三*4の叔父にあたります。
こうして宇都宮城は旧幕軍側の手に落ちましたが、ここから新政府軍(東山道軍)の反撃が始まります。
これまでは、宇都宮方面は大軍監・香川敬三(水戸藩士)や小軍監・有馬藤太(薩摩藩士)達に任せていましたが、小山の戦いでの敗戦を受けて、板橋の東山道軍本営より救援軍が出立します。
まず第一陣として、山国隊を率いる鳥取藩の名将・河田景与(通称、「河田佐久馬」)や迅衝隊を率いる土佐藩士・祖父江可成、松本藩兵が板橋を出立しました。
次に第二陣として、薩摩藩士・伊地知正治や野津鎭雄、長州藩兵、大垣藩兵、忍藩兵が出立しました。
そして第三陣として、薩摩藩士・大山巌や野津道貫、長州藩兵が出立しました。
救援軍は、第二陣が岩井の戦いで野津鎭雄率いる歴戦部隊・薩摩藩五番隊の猛攻により旧幕軍*5を敗退させました。
また、第一陣の河田景与は安塚の戦いで、江上太郎率いる旧幕軍を見事下します。
この戦いは指揮官の手腕の違いが明瞭に表れたといわれており、当初は旧幕軍が有利に局が進み、後に祖父江可成隊が救援に駆付けても戦局は変わりませんでした。
しかし、壬生城にいた河田景与が、本軍劣勢の報を受け、予備隊を率いて前線で指揮を執ると、一気に戦局が逆転し、旧幕軍は宇都宮城に撤退します。
なお、土佐藩兵は、この戦いで祖父江可成隊が活躍できなかったことや後の第二次宇都宮城攻城戦に十分に参戦できなかったことから、「土佐のお方は上州ちぢみ、見掛けや強いで、きてよわい」と嘲笑されてしまう事態に陥り、これに焦った板垣退助や谷干城などは後の今市の戦いや会津戦争で挽回しようと行動します*6。
そして遂に、宇都宮城奪還作戦(第二次宇都宮城攻城戦)が東山道軍宇都宮方面部隊と救援部隊により決行され、旧幕軍(大鳥軍)は当初の進軍目標であった日光に向けて撤退することとなります。
次回は古屋作左衛門率いる衝鋒隊が登場する飯山戦争や、薩長土以外の藩(岡山藩や佐土原藩、津藩等)が活躍する市川・船橋の戦い、五井戦争に関する第7弾の動画について投稿する予定です。是非ご覧ください。
あと余談ですが、多くの方がブログ等で嘆いているように、YouTubeではもうテキスト動画は必然的に収益化の対象外となるようですね。
たしかに文字を垂れ流しするだけの動画を対象外とすることには賛同しますが、ナレーションや本人顔出し無しでもかなりの労力を費やして作成し、かつ非常に教育的価値のある動画も一律に対象外とするのはチョットなぁ・・・。
これまでに作成した動画もこれから作成する動画も、多大な時間と労力、お金をかけている、あるいはかけるつもりなのにモチベーションが下がります・・・。
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